「神の冬 花の春」第6章の3

2015.05.23 Saturday 20:00
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    「加野……なのか」
     新青森駅の雑踏の中、恭司は自分の目を疑った。
     オーバーを着こんだ加野湘子は、無邪気な笑顔を見せている。
    「すごい偶然だね、相沢君。こんな所で逢うなんて」
    「そうだな……元気か」
    「うん。今はお祖父さんの家にいるの。実家へ帰ろうとしていたところ」
     どう言っていいか、分からなかった。
     湘子と恭司や季里たちとは、今年の夏、信じられない体験をした。そのとき湘子は頭を打ち、いちばん大事な人を文字通りなくす――という体験をした。そして、その人との思い出まで、すっかりなくしてしまった、と聴いていた。
     それでも、恭司のことは覚えていたらしい。笑顔でうなずいた。
    「私なら、元気。記憶はまだ戻らないけど、無理に思い出すこともないのかなって、最近は思ってる。なんだかね、今は気分がとても軽いの。……いけないのかな」
    「いいんじゃないか」
     恭司は、一瞬ためらった後に、答えた。
    「加野の人生は、加野が決めることだよ」
    「そうだね。うん、ありがとう」
     湘子はうなずいて、
    「あの子も、そう言うかな。ほら――水淵さん」
    「季里のことは、覚えているのか」
    「うん。私を助けてくれたんだよね」
    「まあ、ね」
    「今も元気? 水淵さん」
    「分からない」
     恭司は、それについては正直に答えた。
    「季里は今、東京にいるはずなんだ。俺ひとりが里帰りしてきた。それが、東京があの通りだろう」
    「うん、知ってる。汽車は動かないんだよね」
    「ああ」
    「どうするつもり?」
    「分からない」
     恭司には、そうしか答えることができなかった。
    「相沢君。今度は私が、助ける番だね」
     湘子は、細長い紙きれを恭司に手渡した。
    「あっ」
     恭司は思わず声を上げていた。新宿−青森間の、高速バスの切符だった。
    「ここから青森駅までは、タクシーで行けるでしょう。私が聴いたのだと、東北道はかなり除雪してあって、ひょっとしたら都内に入れるかも……って。指定席だから、急いで行ってね」
     それには気がつかなかった。
    「加野は、それでいいのか」
    「やまない雪はないよ」
     湘子は微笑んだ。
    「私は、今すぐ帰らなくても、大丈夫。だから、もらって」
    「……ありがとう」
     この偶然が神さまのしわざなら、恭司はその神さまにいくら感謝してもしきれないほどだった。もちろん、湘子にも。
    「私のことはいいから。それより、水淵さんに必ず逢ってね。なんていうのかな……心の中で声がするの。逢いたい人には、逢いたいときに逢わなくちゃいけない、って」
    「――ああ」
     深く頭を下げると、恭司はそれきり振り向かず、タクシー乗り場へと歩き出した。

    「相沢君って、まっすぐな人だな」
     背中を見送って、湘子はつぶやいた。
    「そんなに都合よく、思い出さないと思う? 何があったのか、もう、知ってるよ。だから相沢君には、悲しい思いをさせたくないんだよ」
     湘子は、オーバーの袖で、涙をぬぐった。

     こうして、いろいろなことが動き始めた。
     そして、いろいろなことが、滅び始めたのだった。

    (この章、終わり)
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     物語が終わるには、もう少し、時間があるようです。
     ひとつ、おわびをしておかなくてはなりません。これからは『旧三部作』と呼びますが、「夏街道」「水路の夢」とこの作品では、その後と設定が変わっています。恭司が青森生まれなのに、季里は北海道生まれだ、ということです。
     ある理由があって、のちに、ふたりとも青森生まれに戻したのですけれど、そのため、設定が途中で、歪んでいます。ごめんなさい。
     これは、これとして、ということで……。


     
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    「神の冬 花の春」第6章の2

    2015.05.22 Friday 19:09
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       商店街を抜けると、玉川上水沿いの道へ出た。
       季里は、上水に近づかないように、気をつけて歩いていた。この大雪の中、川にはまったら、レトリックではなく、死んでしまうだろう。
       ふだんなら十五分ほどで着く学校への道を、一時間以上かけて、季里は歩き切った。図書館は三階建てだ。入り口になっている窓は、すぐに分かった。
       長靴のまま建物に入り、声を上げた。
      「先生、森本先生。美砂、陣内君」
       声が、階段に吸いこまれていった。
      「季里。二階の閲覧室だよ」
       美砂の声が聴こえた。
       季里はやや早足になって、閲覧室へと降りた。防寒靴を履いて、ダウンジャケットを着た美砂が、ちょっとため息をついたように笑った。
      「着てくれたんだね」
      「こないわけがないでしょう」
       季里が答えると、美砂は頭をかいた。
      「ああ、あんたならそう言うだろうね」
      「美砂たちは、どうして来たの」
      「それなんだけどさ。まあ、こっちへ入って」
       美砂は、書庫の中へ入っていった。季里は後を追った。

       書庫の奥にある資料室では、森本先生と陣内が、オーバーを着込んで、オセロをやっていた。部屋の中央に、石油ストーブがあって、やかんがかけてある。
      「書庫の中で、ストーブをたいていいんですか」
       不思議に思って季里がきくと、森本先生が答えた。
      「最初は一階の司書室にいたんだが、窓が雪に埋まってしまったものだからね。煉瓦の建物は、雪には強いはずなんだが、窓はそうもいかない。逃げてきたんだよ」
      「そうですか。……陣内君、コーヒーの豆」
       ナップサックから豆の袋を取り出すと、陣内は手刀を切って、受け取った。
      「ありがたいな。つけにしといてくれ」
      「ううん。紘史兄さんが言っていたよ。豆は鮮度が命だ、とっておいても酸化するだけだ、って」
      「一面の真実ではあるな」
       陣内はうなずいて、隅に置いてあったテーブルから、コーヒーミルを持ってきた。
      「陣内。最初から、豆をもらうつもりだったの?」
       美砂が、眉をひそめる。
      「もらうんじゃない。買うつもりだったんだ」
       豆を挽きながら、陣内は答えた。
      「『ねむ』は売り上げが少しでも出る。俺たちはうまいコーヒーが飲める。この雪じゃ役に立たない金ってものが、ここでは使える。誰にとっても、有意義だと思うがね」
      「そうだね」
       美砂の返事に、陣内は眉をひそめた。
      「どうした。お前さんらしくないな。俺のことばに反論しない、ってのは」
      「弱気になってるんだよ」
       むすっとして、美砂は答えた。
      「あたしは、雪に遭ったことがないんだ。このままどこまでも埋まっていったら……って考えると、たまらなく怖いんだ。――笑えよ」
      「笑いやしないさ」
       陣内は、落ちついて答えた。
      「俺も、こんなに雪が怖いものだ、とは思わなかったさ。水淵は違うだろうがね」
      「そうでもないよ」
       季里は首を振った。
      「北海道でも、街の中で雪が積もるのは、多くても二メートルはいかないもの。雪が積もれば、道はせまくなるし、つららが落ちてくることもある。私だって、こんな雪に遭ったのは、初めて。だから、やっぱり怖い」
       静かな図書館のどこかで、みしっ、と音がして、季里たちは身をふるわせた。
      「こうなったら、神頼みだね」
       ため息交じりにつぶやいた美砂に、季里は、ハッとした。
      「神……」
      「神がどうかしたのか」
       森本先生が、アルミのマグカップに入れたコーヒーをすすりながらきいた。
      「私、会いにいきます」
      「神さまに?」
       美砂が声を上げたが、あまり、驚いているようすもなかった。
      「まあ、水淵なら、あり得ることだな」
       陣内がうなずく。
      「できれば、俺たちが死ぬ前に、止めてくれるように頼んでくれ」
      「うん。だから、……生きのびて」
      「不吉なこと言わないでよ」
       美砂が顔をしかめたが、すぐに首を振った。
      「これだけの雪だと、ほんとうに心配だね。季里、待ってる」
      「うん。みんな、気をつけて」
       季里は笑って、部屋を出た。

      (この章、続く)
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      物語が進むにつれて、前のところをやり直したいところが出てくるのですけれど、とりあえず、書き終えてみないと、それもできませんので、先に進ませて下さいね。
      この物語は、『水路の夢』の続きなので、私の生まれが北海道とか、店の名前が『ねむ』とか、直してあるところも、多くあります。そこも、分かって下さい。

       
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      「神の冬 花の春」第6章の1

      2015.05.21 Thursday 23:02
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        第六章の1
         大晦日の夜を、季里はベッドの中で過ごした。起きているだけでも、電気やガスは使う。ライフラインが危ない今では、無駄に起きているわけにはいかなかった。
         目が醒めると、元日だった。
         台所へ降りてみると、紘史がむつかしい表情で、テーブルに向かっていた。
        「あいかわらず?」
         きいてみると、首を振った。
        「なお悪い。ラジオも聴こえなくなった。……俺はとりあえず、屋根の雪を下ろすよ。この家は、四メートルなんて豪雪に、耐えられる作りじゃないからな」
         季里が、『私も手伝う』、と言おうとしたとき、固定電話が鳴った。紘史が飛びつく。
        「もしもし。……ああ、お前らか。……季里。美砂から電話だ」
        「美砂から?」
         季里は受話器を受け取った。
        『季里。大丈夫かい』
        「私なら、平気。美砂は?」
        『今、図書館だよ。陣内も来てる。森本先生が気になってね』
        「美砂のうちは?」
        『ライフラインが完全に切れたんだよ』
         美砂は、いまいましそうに言った。
        「そう……私もこれから、そっちに行く。何か欲しいものは、ある?」
        『ちょっと待って』
         美砂は受話器を置いたようだ。遠い声で、『季里が何か欲しいか、だって』と美砂が言い、どうやら陣内らしい声が、何か言った。
         間もなく、美砂がまた受話器を持った。
        『もしよかったら、コーヒー豆をちょっと譲ってくれないか、だってさ。……え? ああ、代金なら払うよ。こんなときには役に立つか分からないけど、金ならあるんだ』
        「分かった。紘史兄さんに、言ってみるね」
         電話を置いて、季里はため息をついた。
         そう。この雪がなければ、東京では、たいていのものごとが、金を出せばどうにかなったのだった。だが、今、役に立つのは、自分の体だけだ。それだって……。
         季里はそこで、考えるのをやめた。
        「紘史兄さん、私、図書館へ行ってくる」
         ダウンジャケットを着ている紘史に、季里は言った。
        「おう。よろしく言っといてくれ」
        「それでね」
         おそるおそる、季里は言ってみた。
        「コーヒーの豆を、譲ってほしいんだって。お金は……」
        「金なら、使えるようになってから、もらうさ」
         紘史はふっ、と笑った。
        「コーヒー豆は鮮度が命だ。客の来ない喫茶店が、大事にしまっといたところで、酸化するだけだよ。……それより、大丈夫か」
         季里も笑って答えた。
        「私だって、雪国の子だもの」

         もう着る機会もないだろうと思っていた、毛糸の帽子と耳当てをかぶり、分厚い毛のオーバーを着て、恭司の部屋にあった赤いショルダーバッグにコーヒーの豆を詰めこむと、季里は二階の自分の部屋から、外へ出た。
         紘史に言われて、スキーのストックを持っていた。いまは、風は激しくなく、雪は静かに、しかし確実に降り積もっている。ストックでひと足ごとに、目の前の雪を探った。どうにか固まっている方向を選んで、慎重に歩いて行った。
         商店街の道路は、最後まで人が歩いたと見えて、かなり低くなっていた。その細い道筋を、季里は、ゆっくりと歩いて行く。ときおり風が吹き、雪を舞い上げた。オーバーのフードをかぶっていても、冷たい雪が頬に刺さるようで、痛かった。それでも季里は、あきらめずに歩き続けた。
         それは、もしいるとするなら、気まぐれな神に、季里のできるただひとつの抵抗だった。

         新青森駅のシャッターが上がると、人がアリのように群がった。
        「お客さまに申し上げます」
         メガホンを持った駅員が、声を張り上げた。
        「盛岡、仙台、東京方面の青森新幹線は、関東地方の大雪のため、現在、盛岡−東京間で、全線運転を見合わせております。ご迷惑をおかけしますが、雪のため、運行ができませんことを、お詫びいたします」
         大半の乗客は、あきらめきれないようすで、駅構内をうろついていた。
         恭司には、どうしていいのか分からなかった。盛岡まで行けたとしても、そこから東京は、絶望的に遠い。けれど、あきらめることはできない――。
        「相沢君?」
         耳のそばで声がした。
         驚いた恭司が見ると、なつかしい、しかし意外な顔があった。
        「加野……」
        「久しぶりだね」
         加野湘子は、微笑んでいた。

        (この章、続く)

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        久しぶりの、連載です。
        この、旧シリーズ完結編で、早見さんがやりたかったことは、「夏街道」の加野さんを、もう一度出すことだったそうです。
        それにしても、改めて、雪はたいへんですよね……。
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        おくれてごめんなさい。

        2015.04.06 Monday 22:18
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           「神の冬 花の春」の再開がおくれていることについてですけれど、気候のせいでも、早見さんがなまけているわけでも、ありません。
           では何か、というと、「結論は見えているが、過程が見えない」、ということなのです。
           もともとこの作品は、結論があって書き始めたのですけれど、その、途中の部分が、私たちにも分かっていないのですね。それでも、とにかく最後まで書ききろう、と早見さんは思っているようなので、どうか、もう少し、お待ち下さい。
           私も23年待っているので、納得できる形で、終わりたいです。

           きょうは始業式でした。学校の桜は、もう葉桜ですけれど、きょうから、コース分けが始まります。私は、国立文系コースです。
           恭司が同じ国立文系コース、陣内君が国立理系コース、美砂が私立文系コースと、ばらばらですけれど、図書館へ行けば、みんな一緒です。
           西東京文理大に、入れますように……。
           
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          連載お休みのお知らせ。

          2014.12.19 Friday 18:36
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             こんばんは。きょうも寒いですね。お元気ですか。

             きょうは、ちょっとしたお知らせがあります。このブログで連載している「神の冬 花の春」ですけれど、早見さんとの話し合いの結果、少しの間、お休みをいただこう、と思います。
             フィクションはあくまでフィクションですし、だからこそ、私のような非実在高校生も、こうして書くことが、できます。ですが、いま、現に、豪雪で人が何人も死んでいるときに、豪雪の被害の話をするのは、精神的に、耐えられません。早見さんは、書き続けたい――と言っていますが、そうですね……「洒落にならない」、というところでしょうか。私には、がまんできない事実なのです。
             「神の冬 花の春」のメモを見せてもらいましたが、1988年に、すでに、東京に5メートルの雪が降って(以下は伏せます)、という骨組みは、できています。それを変える気は、早見さんにも、私にもありません。けれど、あまりにも、タイミングが悪すぎる、というのが、私の意見です。早見さんは、またちがう考えをお持ちのようですが、疲れきっていて、「現実の神さま」と対決するには、エネルギー不足だ、と言っています。
             皆さんは、どう思われますか。ぜひ、ご意見を、おきかせ下さい。
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            「神の冬 花の春」第5章の2

            2014.12.13 Saturday 23:34
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               ふたりがテレビを見ていたとき、ふいに、画面には何も映らなくなった。
              「アンテナのせいかな。ちょっと見てみよう」
               紘史はスマートフォンのワンセグ放送を見てみた。しかし、そこにも、何も映ってはいなかった。
              「少なくとも、うちが原因でないことは、確かだな……」
               紘史は恭司の部屋からCDラジカセを持ってきた。
               ラジオだけは、かろうじて放送されていた。
              『……すでに、北区、葛飾区、江戸川区の一部では、停電が広がっており、住民は、不安な夜を迎えております。気象庁の発表によりますと、まだ数日は一日一メートル程度の積雪がある見込みで、都内の全交通機関は、大幅に停止しています。東京都は、近隣の県に協力を求め、また、自衛隊への出動要請を出しておりますが、積雪量が予想を遙かに超えているため、車両の通行は難しく、急を要する世帯へのヘリによる救援も、雪によって天候が荒れているため、極めて困難です。都民の皆さん、出火などにはくれぐれもお気をつけ下さい。繰り返します。現在、東京都内で、四メートルの積雪が観測されております。それに伴い、交通機関は大幅に停止しています。地域によっては、徒歩での買い物や避難は、困難な状態です。東京都は、住民に出かけないよう呼びかけています。また、デジタルテレビの放映や、一部の地域での携帯電話の使用も、できなくなっております』
              「こういうときの『一部』は、信用できないな」
               紘史はスマートフォンをかけようとした。
              「だめだ。圏外になってる」
              「どうして携帯電話が止まるの?」
               季里の問いに、紘史は苦々しそうに言った。
              「携帯には基地局というものがあるんだよ。そこが雪にやられると、通信はできなくなる。誰に文句を言っても始まらない。固定電話のほうはどうかな」
               台所の隅にある電話の受話器を、紘史は取り上げ、ボタンを押した。しばらく聴いていたが、諦めたように受話器を置いた。
              「お話中だ。みんな、相当、混乱しているようだな」
              「四メートルなんて、青森でも、めったにないね」
              「まあな。酸ヶ湯の辺りなら、年中行事なんだが、あそこは山だ。街なかでは考えづらいな。とりあえず、電気とガスがあれば、生きていけないことはない」
               紘史は自分の部屋へ行き、何かの道具らしい物を持ってきた。
              「電池の充電器だ。今のうちに、できる限り充電しておこう。ガスは、鍋用のカセットコンロがあるはずだ。後は、風呂場に水を溜めておくのもいいかもしれないな」
              「水道も?」
              「どこかで、水道管が破裂するかもしれない」
               そのときになって、初めて季里の胸に、心配がこみ上げてきた。紘史とふたりで、この冬を乗り越えられるかどうか――。
              (恭司、どうしているかな)
               もしここに恭司がいても、事態は、変わらないだろう。けれど、心細くなっているのは、事実だ。
               冬の前には、季里は、無力だった。

               青森でも、紅白歌合戦は中断され、東京の豪雪のようすが中継になった。
              「四メートル……」
               恭司は、つぶやいた。
               あの街が、あの店が、あの家が、……季里たちが、雪に埋もれようとしている。それも、『歴史上類を見ない』豪雪に。
               恭司は紘史に、携帯をかけてみた。『おかけになった電話番号は、現在使われていないか、電波の届かない範囲に……』。
              「冗談じゃないぞ」
               恭司はつぶやいた。
               念のため、固定電話のほうに、かけてみた。お話中が続くだけだ。
              「何をしている」
               気がつくと、父親がこちらを見ていた。
              「東京には、友だちがたくさん、いるんだ。心配しないほうがおかしいじゃないか」
              「それで、うまく言い抜けたつもりか」
               父親の目は、厳しかった。
              「お前を東京にやったのは、紘史のようすを見させるためだ。水淵さん家の娘に……」
              「それ以上言ったら、俺にも覚悟がある」
               恭司も父親をにらみつけた。
              「汚いよ、父さんも母さんも。季里と俺は、なんでもない。あそこには、俺の新しい家があるんだ。俺はもう、ただの子どもじゃない。ひとりの、人間だ。なんでそれを、分かってくれないんだ」
              「生意気な!」
               声と共に、拳が飛んできた。恭司は床に吹っ飛ばされた。
               それでも恭司は、鋭い視線を外さなかった。
              「あんたには分からない。永遠に分からない。俺たちはみんな、お互いを必要としているんだ。男女がどうとか、兄弟がどうとか、そんなことは関係ない。俺たちは、新しい家族を作ったんだよ」
               言うなり恭司は、二階の自分の部屋へ入って、鍵をかけた。
               バッグから財布を取り出した。餞別代わりに、紘史がくれた金と、自分の貯金の一部が入っている。青森から東京までの電車賃は、充分にあった。
              「父さん。あんたの考えが、全部まちがっている、と思っているわけじゃないんだ。……それでも俺は、行かなきゃいけないんだ。自分のために」
               ダウンジャケットを着込み、帽子をかぶって、ショルダーバッグをたすきにかけて、玄関へ降りた。父親は寝てしまったらしく、物音ひとつ、しなかった。
               静かに戸を開けて、外へ出ると、星が明るかった。青森の積雪は五十センチ程度だ。恭司は表通りへと出て、タクシーを捜した。ようやく捕まると、車内にすべり込んで、運転手に告げた。
              「新青森駅まで、お願いします」
              「この時間は、新幹線はないですよ」
               津軽弁のイントネーションで運転手が言った。
              「分かってます。朝一番から、空いている列車に乗りたいんです」
              「どちらまで」
              「東京です」
              「それなら運休ですよ。東京の雪がひどいせいで」
              「どの辺までだったら、行けるでしょう」
              「仙台までは、大丈夫そうだけど」
              「とにかく、行ってみます。行かなくちゃならないんです」
               恭司は言った。
              「まあ、行けなくても、私のせいじゃないからね」
               運転手は、車を走らせた。

              (この章、つづく)
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              季里メモ:前の節と、この回の頭とでは、つながりが悪くなっています。あとから書いた原稿との間で、まちがいがあったのですけれど、とりあえず、書き上げるため、そのままにしておく……ということです。
               現実の世界も、寒いですね。皆さま、お気をつけて。
               
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              「神の冬 花の春」五章の1

              2014.12.13 Saturday 00:00
              0
                第五章

                 大晦日までに、雪は四メートル、降り続いた。

                 その頃になると、府中街道のような幹線道路は別にして、商店街のような細い道では、もう、積雪を取り徐くことは、諦めないわけにはいかなかった。ブルドーザは、雪をどけては、近所の学校に運んでいたが、しだいに多くなる積雪に、作業が間に合わなくなったのだ。
                 喫茶『ねむ』では、十二月二十九日の内に、紘史が板を買ってきて、外側から窓に打ちつけて、ガラスが割れるのを防いだ。店のドアの前は、かろうじて除雪していたのだが、外の、人が踏み固めた細い道からドアに降りるには、一メートル以上の段差を降りてこなければならず、事実上の開店休業だった。
                 それでも、毎朝、紘史は開店の準備をし、季里は朝食を作った。そして、店に細野晴臣の『泰安洋行』や、シュガーベイブの『SONGS』を流した。どちらも、夏の盛りに似合うような曲だった。
                 ふたりは、自分たちなりに、闘っていたのだ。――暴虐の冬に。
                 大晦日の夜、店を閉めると、雨戸を閉めて、紘史は台所で、紅白歌合戦を流しながら、雑煮を作った。店の冷蔵庫も合わせると、一週間ぐらいの食料の買い置きはあった。客が来ることは、もう、諦めなければいけないようだった。それより、自分たちの命を守ることのほうが大事だ。
                 紅白歌合戦の途中、季里が名前を知らない女性の演歌歌手が歌を歌っている途中で、画面にテロップが入り、映像は、スタジオに代わった。男性のアナウンサーが告げた。
                『番組の途中ですが、首都圏の降雪情報をお知らせします』
                 季里は、緊張した。こんな放送は、見たことがない――。
                 画面は、NHKホールの周りを映し出した。ブルドーザやロータリー車、モーターグレイダーなどで、ホールの周りの雪をどけていたが、雪があまりにも降りしきるので、たびたび視界がさえぎられた。
                『画面に映っていますのは、渋谷、NHKホールの周囲の映像です。現在、関東一円の土木事務所、自衛隊などが除雪を行なっております。気象庁発表では、一日の積雪量は一メートルを超えており、全体の積雪量は、推計、四メートルになっております。……気象庁は、落ちついて行動すること、家の窓などを保護するよう呼びかけています』。
                「落ちついて、か……」
                 紘史は、苦々しそうに言った。
                「こんなところで、落ちついて死を待て、って? 冗談じゃない」
                「紘史兄さん。兄さんは、死ぬ、って思うの?」
                 季里がきくと、紘史は首を振った。
                「雪が十センチで、交通機関がマヒするような土地だ。しかも、まだ雪は、止んじゃいない。家を守って討ち死にするか、いったん退却してことが収まるのを待つか……戦国武将の評定みたいだな」
                「でも、どこへも、退却、できないんでしょう」
                「交通の状態を見てみよう」
                 ふたりがテレビを見ていたとき、ふいに、画面には何も映らなくなった。
                「アンテナのせいかな。あしたの朝一番で、見てみよう」
                 紘史はラジカセを持ってきた。
                (この章、続く)
                --------------------------------------------------------------
                季里メモ:この章は、27年ぐらいに、早見さんが書いておいたものです。
                 ほんとうに、こんなことにならないように、私は心から、祈っています……。
                 
                category:「神の冬 花の春」 | by:季里comments(0) | - | -

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